中田耕治連続講座 第2回「現代文学を語る」文京区シビックホール


<明治初期の時代背景>

 実に3年ぶりくらいで、先生にお会いした。以前とつゆ変わらずのお元気ぶり。入り口でお目見えし、覚えてくれていたのでちょっと安心。
 第一回は映画『ラストサムライ』についての話で盛り上がったそうだが、仕事のために参加できず、残念。

 本日は、明治初期から、大正にかけての時代背景を中心にした講義。課題となっていた樋口一葉までは辿り着かず。でもお陰でようやく一葉を読むきっかけになった。

  <大まかな内容> 
(あくまでも私のメモ書きからなので間違いがあるかもしれません。どうかご容赦下さい。)
*小石川は、近代日本文学の中心地で、鴎外、漱石などが歩いていた場所だったという話。

*映画『ラストサムライ』のトム・クルーズ役にモデル二人ほどあり。あのような外国人が実在した話。日本の着物を着て、下駄を履くアメリカ人がいた。ル・ジャンドルというのがその一人。明治政府の外務顧問として来日したフランス系アメリカ人のル・ジャンドル将軍。
 ちなみに私がネットで調べてみると、その息子がハーフで歌舞伎役者になっている。母は日本人の芸者だということから、芸者を妻に迎えていることになる。

*明治維新、侍が一番困る。失業。
士族が無くなる→もと士族の貧しさはジャーナリズムへ。
 女性たちの困窮、浅草などへ身を落とす。

明治4年、徴兵制→封建制を壊す一端を担う。侍の救済策でもある。

*外交に最も苦心する日本
イギリスが最大の発言力を持つ。パークス公使の尊大な態度に屈辱を受ける岩倉具視。無礼な態度に、武力をつけなければと思う。(これが達成されると後に優越感へ変わる。)
アメリカは日本の経済を押さえていく。

*マリー・ルーズ号事件(ペルー船)横浜沖 明治5年
当時は港湾長はアメリカ人。船が230人もの中国人クーリー(苦力)(ほとんど奴隷状態)を運んでいることが分かり、大木知事が停止命令。
奴隷を運んでいるとして、裁判沙汰にする。
 当時、日本には万国公法漢譚の一冊のみ。つまり国際法の関係書籍が中国の一冊しかないという状態。
国際的に初めて注目される日本。ロシア法廷に頼み、なんとか勝訴する。ヒューマニズム日本といういい印象を与えた。中国にも感謝されている。
 変化:それまで漢文、漢詩をたしなんできた知識人が英語を学ぶようになった。オランダ語、フランス語から英語へ関心がシフトする。

*当時の日本人の目→北と南に向く
北進論(ロシアに備える)当時もっともロシアをおそれていた日本
南進論(資源、南洋の国へ)
 矢野龍渓(ジャーナリストで作家、英語の達人だった)
『浮城物語』冒険小説 船で南方を攻める物語(先生が少年の頃驚いた一冊)現在絶版なり。理由は侵略主義ゆえ。だが明治文学の傑作のひとつであり、この思想が日本人の心にあったことを知っておくのは意味ありこと。

*鋤焼き、牛鍋の話
鋤焼き(すきやき)は、農具の鋤で焼いたというのが始まり。戦国時代に兵士が食べていた戦争食だという。ちなみに、ゆべし、ほうとうも同じなり。
牛鍋屋は、京橋・日本橋・神田(当時の文化の中心地)に始まる。
 高級店は、屋根に肉という旗を立て、赤や黄色のステンドガラスがある店だったらしい。
 作り方は、肉を煮ることから始まっている。肉といえば、牛肉のことを指す。ネギと肉のみ。ラード(ヘッド)を美味と感じた日本人。
 京橋・日本橋・神田には当時ハイカラな牛鍋屋などの洋食レストラン(40軒のうち、20軒がこの3都市に集中)があったのに対し、上野、浅草には日本料理の店が並ぶ。
農村では丸麦、稗、粟を食べていた。ひき割めし(押し麦を混ぜる)

*漢字を創った日本人
翻訳という言葉は日本人が創った。当時の清国(中国)にはない。
科学用語や哲学用語も日本人が創っている。

*大正 庶民はのびのびしてくるが、知識人は暗くなる。ノイローゼ気味

文学のテイストというのは、食べ物のテイストのようなものである。
近代文学者の名前の話。居士、山人、亭など
 
ダビンチの言葉の引用で終わる。

とても勉強になった講義でした。次回も楽しみです。


Posted: Sat - February 14, 2004 at 10:21 PM      


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