短編『かわいい女』
チェーホフ
再読して見えてきた新しい解釈
この作品は一度読むのと再度読むのとでは、実に印象が違ってくる、
謎の恐るべき作品である。
最初に読んだときにはほとんど気がつかなかったが、
二度目に深く読んだとき、実に畏怖に近い感情を抱いた。
まるで啓示でも受けたかのようにしばらく体が膠着したのである。
もしまだ読んでいない読者がいたのなら、是非読んで体験して頂きたいと思う。
私には主人公の女性が「ただの主体性のない女性」ではなく、
−永遠に近い時を生き続けている、いや生きなくてはならない人間という存在が、
その永遠という時間をどのようにして生きながらえているのか−
というのを象徴的に描いたもののように思えたのだ。
なんだかせつなくて愛しくてそれでいて、実に恐ろしかった。
それ以来、私はすっかりチェーホフに敬服してしまったのである。
これは私の想像にすぎないが、ひょっとするとチェーホフ自身、
それに気づかないで、書いてしまったのではないだろうか。
つまり彼が自覚して書いたのではなく、物書きの究極の形でもある、
書かされて書いてしまったという作品なのではないだろうか。。
やはりチェーホフは天才であると思う。
Posted: Mon - April 12, 2004 at 06:05 PM