『天守物語』『山吹』泉鏡花作 板東玉三郎演出 歌舞伎座


泉鏡花と玉三郎の美の融合

玉三郎の『天守物語』は数年前にかなりいいお席で観て、
その絵も言えぬ美しさに、とても感動した作品。

もう一度観たいと思っていたけれど、普段は歌舞伎を観ない人間なので
いつもチェックしている訳ではない。

今回は直前になって、朝日新聞の夕刊で舞台のことを知り
必死にチケットを探してみたが、ほぼ完売。

実は昼の部の『海神別荘』『夜叉が池』のほうが観たかったが
全て売り切れていた。。すごい人気である。
夜の部も、あまりいいお席ではなかったけれど
取り敢えず2階席の後ろで観ることが出来た。

今回この2本を観てきて、私はつくづく泉鏡花の世界が
好きであると実感した次第である。

パンフレットに泉鏡花特集が書いてあったので
食い入るように読んだ。

なぜ今まで泉鏡花を代表作しか読んでこなかったのだろうと
思った。今回上演された4作品のあらすじを読んだだけでも
実に心惹かれるものがある。

鏡花は、異次元の世界と現実世界を融合させるのが本当に上手い。
しかも異次元の世界のほうこそ、現実的で魅力に溢れており、
この世と繋がっていることを常に暗示している。

鏡花という人は普通の人とは違った世界の中で
生きていたのかもしれない。

さて、舞台の感想に移ろう。
まず『山吹』

舞台美術は普通であったが、
笑三郎演じる縫子が実に魅力的だった。

歌舞伎というのは、写真で見たりするとその魅力が分からないのだが
舞台で観ると、女形のその仕草、動作の美しさにびっくりする。

現代社会ではほとんど絶滅してしまった日本女性の美の形が
歌舞伎の世界でかろうじて温存されているのかもしれない、
とふと思った。

舞台では、美女縫子が狂気の世界へと入っていく、
その哀れさが美しさと重なってなんとも胸にしみてきた。

死んで腐った鯉を自分の姿と重ね、それを口にすることによって
闇の世界に入っていく覚悟をする。
不気味な物語設定だが、決して縫子は悪女ではない。

一途な恋が叶わぬならいっそ地獄へ行った方がよい
と覚悟する純情かつ薄幸な女なのである。


『天守物語』
こちらは舞台芸術が実に見事である。
天守で繰り広げられる、美しい侍女たちが花を釣っている光景は
本当に美しい。
そこへ絶世の美女である、玉三郎演じる富姫が現れる。
なんと可憐で美しい形だろう。
立ち姿がこれほど絵になる人はそういない。

艶やかな亀姫と富姫が並び、真っ赤な着物に長い黒髪のまるで日本人形のような女童たち、
薄紫色の着物を着た色っぽい侍女たちが一同に座した光景は
日本の美を極限にまで高めて、ビジュアル化したかのようで
とにかくうっとりしてしまう。

富姫の着るお着物の鮮やかな色彩と煌めき。
それを完璧に着こなして立ち振る舞いする玉三郎。
これだけでも、日常にはない美の世界を垣間見た感じである。

さて内容だが、これは魔界に暮らす何一つ不自由のない生活を愉しむ富姫が
ふと美しい人間の若侍に恋する話である。

強大な力を持っている富姫は海老蔵演じる図書之助には
力を振るうことをしない。なぜならそれは本当の恋だったからである。

この物語では、一見我がままそうな富姫が恋をして
一人のはかない乙女の純情な心をふと見せるのと
恋の相手である図書之助の清らかな心が
観る者の心を打つ。

これはきっと鏡花の永遠のテーマだったのかもしれない。
代表作『高野聖』でも同じテーマを扱っている。

クライマックスでは二人の思いが通じた時には
二人とも目が見えなくなっているという悲劇のシーン。

前回観たときは、これで物語が終わっていたような気がしたのだが
今回観たら実はハッピーエンドになっていた。

私としては悲劇に終わったほうが、二人の愛の美しさが際だって
その後も心に残り、好きなのだが。。

とにかく遠くて混んでいたけれど、いいものが観れて幸わせでした。

以上です

7/25観劇

Posted: Thu - July 27, 2006 at 07:31 PM      


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