『10ミニッツオールダー 人生のメビウス』★★★


7人の監督による10分の短編映画  ビクトル・エリセ ヴィム・ヴェンダース チェン・カイコー他 1/27鑑賞


 「10ミニッツオールダー」の片割れである、「人生のメビウス」(10分×7本)をやっと観てきた。なるほど前評判通り、「イデアの森」よりも全体的に楽しめた。

ビクトル・エリセの「ライフライン」

 15本見終わって、芸術として最も素晴らしいと感心したのは、ビクトル・エリセの「ライフライン」だろうか。この監督はなんと10年に1本しか創らないという寡作の人のようだが、そのせいもあるのか、この一本は時間と精力と頭脳を惜しみなく使い、短い時間に凝縮させた作品という感じがする。その密度というのか、完成度の高さ、まるで詩を映像で眺めているような美しさがありながら、それでいてその時代が醸し出す不気味な予兆に満ちていて、何度観ても色褪せしない作品だと思う。

 モノクロ画面に映し出されるのは、スペイン片田舎の日常的風景。赤ん坊と母親が眠っている微笑ましい映像に、突如赤ん坊からどす黒い血が染み出てくる。それが実に不気味かつ不安で、観ていて気が気でない。そこにたたみかけるようにして、そこに暮らす人々の様子が、次々と回転するかのように映し出されていくが、それがなんともノスタルジアな雰囲気を創っている。

牧歌的映像の中に、時折差し挟まれる赤ん坊の血...。そしてナチス台頭の新聞記事。赤ん坊の出血は発見され、臍の緒は無事縫い合わされてほっとするが、最後に1940年という数字がナチスの記事と共に印象的に映し出される。それは作者の生まれた年でもあるという。自らが生まれた年の空気を見事に美しく描いた叙情詩的作品と言える。これは解説を読むのではなく、実際に観て味わって頂く他ない。

 それにしてもこの人がスペイン人であるというのが以外な気がしたが、よく見るとスペインといってもバスク地方の出身であった。バスクというのは独特の文化があるとは聞いていたがほとんど外国のように違うものなのかと、この作品を見てなるほどと思った次第である。



 ヴィム・ヴェンダースの「トローナからの12マイル」はかなり好きな作品。好みで行くとラドフォードの作品「星に魅せられて」とどちらがいいかと悩んでしまうがこちらが一番かもしれない。

 何しろ始めから何か訳ありで、映画的な楽しさに満ちている。荒野を車で走る一人の男が登場するが、病院が閉まっているのを見て焦り怒りまくり、別の病院を目指してさらに加速させ、砂漠のような土地を疾走する。だがそれは死へのドライブでもあった。彼はどうやら麻薬入りのビスケットを大量に食べてしまったらしく、このままでは命が危ない。命が持つかどうかという瀬戸際にいて、さらに車を加速させる。だが次第に幻覚症状が現れ、辺りの景色が溶け出していく...。

色彩は乱れ、歪み観るものをも飲み込んでいく。途中で電力風車が回る景色が映し出されるが、その見事にトリップした異次元の光景は実に美しかった...。観るものまでも幻覚の疑似体験をさせてしまうという演出。それに喜ぶ観客。物語は一人の若い女性に拾われて病院に着き、彼の生還で終わる。安堵感も味わえて大満足。私はかなりヴェンダースが好きなのかもしれない。



チェン・カイコー「夢幻百花」

北京では次々に古い家屋があっという間に取り壊され、一気に新しい町並みが現出しているという情報を知人から聞いてはいたが、それを映像で見て実感したのがこの作品だった。
 引っ越し屋に引っ越しを頼む一人の男がいる。男に頼まれて三人の引っ越し屋はその場所へ行くが、造成地という風情の荒れ果てた土地があるばかりで、一本の大木の他はなにもない。ところが男には家が見えるらしい。

 こいつは狂人だと思った引っ越し屋は引き上げようとするのだが、電話が入り、男からお金をもらえと言われる。そこで3人は物を運ぶふりをして、男からお金をせしめようと企み男の指示を仰いで引っ越しの演技を始める。そのやり取りがとても滑稽であり、怖くもある。

ところが、一人が男の壺を落としてしまう。誰の目にも何もないのだが、男には壺が見え、その破片を拾って泣き出す。三人はただ悪ふざけを楽しんでいたが、この辺りから少し真面目になり始める。そして運び終わってトラックで出発しようとするとき、男が幻のお金を渡そうとするが、もう金はいらないと言って断る。少し走ると男が穴があると騒ぎ出した。男の言うことを無視していると、本当に穴にはまってしまう。トラックの外に出てみると、先程男が行っていた呼び鈴などが実物として見え始める。男は喜んで木のある方に走っていくが、その先に見た物はそこに存在するはずのない屋敷が幻想的に浮かび上がった光景であった。

 これは一人の狂人を通して、過去に存在したものと接触する過程を描いた物語である。そこには男を媒体とした現在と過去との時間の接点があり、男にとっては過去がそのまま存在しその中で生きている。時間の流れをこのようにして捉えた作品は東洋人である彼だけだったように思える。私はこの手のストーリーにとても魅了される。というのも、別の時間や世界があるに違いないと思っている変人(?)だからかもしれない。



Posted: Mon - February 2, 2004 at 12:50 AM      


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