マザー・テレサ ★★★★★★


全ての人に観て欲しい、素晴らしい映画

公開される前から、絶対に観たいと思っていて
遠方のためなかなか果たせず、
川崎のチネチッタが短期上映してくれたお陰で
期限ぎりぎりセーフでようやく観れた。

始まる前から、なんとなく泣いてしまうような気がしていたのだが、
オリビア・ハッセイ演じるマザーテレサが慈愛に満ちた表情を讃えて
母子に接する場面が冒頭で出てくるや、もう涙がこぼれ落ちた。

一本の映画を観て、これほど泣いたことはないかもしれない。
これほど泣いたのは、『ライフ・イズ・ビューティフル』以来だ。
でもあれはラストシーンで大泣きしたのであって、
ずっと泣き続けていた訳ではなかった。
この映画では、初めから最後まで
とにかくずっと涙が止まらなかったのだから。。

電車に乗るのが恥ずかしい位に大泣きしたので、翌朝は瞼が腫れて
目が開かなかった程だった。
だがこれは私だけではない。
同じ映画館にいた人達も皆感動して泣いていたと思う。

では、どうしてそれほど感動したのだろう。

恐らくそれは私が心の奥深くで、
ずっと求めていた理想のようなものを
全て具現化していたから。
だから心の琴線に触れて仕方がなかったのだろう。

思うに、世の中の大多数の人達は基本的に良い人達であり、
皆なにかしら良いことをしたいと思ってはいる。
しかし思ってはいても、色々な理由やら制約やら言い訳などを
自分で作ってしまい、実際はそれが出来ないでいることが多い。

ところが、そうした壁を大きく飛び越えて、多くの人達を揺り動かし、
石のような信念で奇跡と思えるようなことを
実現していった一人の小さな女性が存在した。

彼女の名は、マザー・テレサ。
本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。

彼女のなんと強く自由なことか。

彼女は既成概念というものから全く自由であった。

当時、インドのカルカッタのスラムの中へ修道女がたった一人で
最も貧しい人達を助けたい、という思いと共に入って行ったとき、
周りからは「正気ではない」と言われた。

宗教が違うという理由で、当初はインドの民衆から「出て行け」と言われ
建物には石が投げつけられた。

だが彼女はただひたむきに、最も貧しい人達を命がけで助け続けた。
その姿に人々は感動した。

彼女は自分の進むべき道を信じ、
かつて反対していた人々の心さえ動かし、
こうして様々な困難を乗り越え続け、
全てを実現させていく。

絶望の闇の中に、一筋の光をもたらすために。。

その姿は美しく、多くの人達を感動させ、
大きな力となり、世界中の人々や国を揺り動かした。

彼女は小さな自己を完全に克服し、
全体の幸せを増幅させることに
自らの喜びを見い出すことの出来る人間であった。

どれほど多くの困難な人達を救い、
彼らの闇の世界に
喜びの光をもたらしたことだろう。




現在の世界を見渡してみよう。

貧富の差はもはや無視できないレベルにまで達している。
様々な争いや悲しみ、困難はこうしたことに端を発している。

真に世界平和を望むのであれば、
全ての人が公平でなくてはならないし
貧困問題は解決されなくてはならない。

すでに富める人が、必要以上に富むということは
間違いなく、地球上に生きる他の誰かを貧しくすることに他ならない。

この事実から目をそらしてはならない。

必要以上に消費したり、搾取したりするのはもう止めなくてはいけない。

思いやりを持って、人々が助け合う世界は
どれほど平和で美しいことだろう。



映画の帰り、川崎駅の混雑した階段で清掃係らしき人が
大荷物をひっくり返してしまう現場に遭遇する。

すると、周りにいた人達はすぐに散らばった道具を
拾い集め始めた。もちろん私も拾った。

係の人はありがとうとお礼を言った。

こんな場面にちょうど出会って
少し心強くなった。

この先、人生に置いて困難な人に出会ったとき、
全ての人の中に、そして自分の中にも
マザー・テレサがいるのだということを
忘れないで生きたいと思う。


まだ観ていない人は、是非ビデオやDVDが発売されたら
ご覧になって下さい。

きっと心の中に清らかなものが残るはずです。

では、また。




Posted: Fri - September 16, 2005 at 10:35 PM      


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