『25時』 スパイク・リー監督 ★★★


短編『ゴアvsブッシュ』も絡め、自国の呪われた運命を読む 【衝撃】

 『25時』を昨日観てきたが、見終わった後死ぬほどぐったりして、食欲までなくなってしまった。なのでお薦めといっていいのか分からないが、ず〜んと重く後をひく衝撃の強い映画だというのは確かだ。かなり私にとってはしんどかった。一日経ってもまだ精神的にしんどい。

 スパイク・リーという人はかなり痛烈な社会批判を映画でやってのける人だと思う。しかもそこには強烈なメッセージが込められている。
 この人の映画に『マルコムX』というのがあるが、あれは個人的に凄い体験をした映画でもあった。映画の内容がというよりはむしろ、あれを観たのが他ならぬアメリカであり、しかも黒人が多数を占めるディープサウスのニューオリンズだったからだ。
 話題作というので、のこのこと一人で見に行ったが、劇場はなんと黒人客で埋め尽くされていた。そして映画が始まるや拍手喝采があちこちで沸き起こり、映画が終わるとほぼ観客が総立ちになって拍手やら歓声を上げていたのだ。私はあの劇場に立ち込める熱気に圧倒され、異文化空間に触れた衝撃を受けたのであった。
 
 さて、映画『25時』であるが、私は映画を観るときや本を読むときは大抵、その表面を流れる物語とその根底を流れる物語との両方を捉えようと試みる習慣を持つ。
 そしてこの映画は、その表の物語が意味する所を考えるに、スパイク・リーの痛烈な社会批判であり、その嘆きと救いへの模索を見て取ったのである。

 といっても断っておかねばならないのは、昨日見終わったときはあまりにぐったりしていてパンフレットを買ったり読んだりしようなどとは考える気力さえなく、とにかくその場から早く逃げ出したかったので、つまりが全く解説のたぐいなどは読んでいない。それで敢えて書いているのは、ある意味で自分の直感がどれほど当たっているのか、またはその直感をここに書き記しておきたかったという理由による。なので、見当はずれでもご容赦頂きたい。

 まず印象に残ったのは、冒頭で天上から光が差し込まれているというシーンである。これを忘れてはならない。
 表面の物語は、モンティというやや傲慢で擦れた若いハンサム男が麻薬取引で儲けた汚いお金でいい車を乗り回し、いい部屋に住み、美女と同棲して世の中をなめて暮らしているが、突然、密告によって捕まり、いよいよ明日刑務所へ行かなくてはならないというその時間までの物語である。

 それは本当に自業自得であり、実は同情の余地など全くない。言ってしまえば傲慢な男が馬鹿なことをして一生を棒に振ってしまったことを心から悔いるその過程を描いた物語である。
 それがなぜこれほども衝撃を与えるのか。実際、私は(同情の)涙など全く出なかったが、周りの多くの人は(恐らく同情してだろうか)泣いていた。これもなぜなのか。
 
 実はちょうど一週間まえに、同じ劇場でスパイク・リーの10分の短編映画を観た。それはドキュメンタリーであり、ブッシュ対ゴアの大統領選挙で、ゴア陣営がブッシュ陣営にはめられて、選挙に負けたという演出をさせられてしまったという事実を暴露し、もし世間がブッシュ陣営に担がれずにゴアが大統領になっていたなら、という投げかけをしている。
 実際朝日新聞にはゴアがフロリダで勝利していたという記事が載っていたのを私は記憶している。ということはつまりが、ゴアが本来なら大統領になっていたかもしれないということであり、その後に起こる戦争や今の中東での大混乱、そして今や問題が噴き出して収拾さえつかない大量兵器があったとするブッシュ陣営の怪しげな主張に、なんと世界中が担がれてしまったという恐ろしい現実が目の前にある。どうしてこれを後悔せずにいられようか。
 
 そしてこの映画である。
 後悔する主人公モンティの親友たちがモンティについてあれこれと意見を交わすのは、あの現場(9.11の無惨な跡地)に隣接する高層マンションであり、その跡地を眺めながらなのである。そしてその傷跡はかなり印象的にゆっくりと映し出される。
 土地にはやはり出来事を記憶する力があると実感した。その場所が移っただけで、私は溜まらない気持ちになり、泣きたいような気分に襲われたのである。そして悲劇の全てはあの場所から始まったのであった。

 親友が言う。あいつは人を不幸にする金(麻薬)でいい車を買ったりいい部屋に住み、女に買い与えていると。今考えるに、モンティはアメリカ(一部)を表しているのではないか。武器を買ったお金(人々を不幸にする汚いお金)で裕福になり傲慢になっている人たちを。そして傲慢なモンティは世間を全て呪い尽くすが、結局は自分が一番呪われているのだと鏡の自分に言われるのだ。

 モンティは刑務所に行く直前になって、ようやく後悔する。そしてもしこうでなければあったであろう、平和な自分の人生を25時のあり得ない夢として見るのである。刑務所へもうすぐ着くという車のなかで。。

 印象的なのは、彼を最も理解する親友である。彼はモンティとはもうおさらばだとドライに言いながらも、最後には痛烈な後悔に苛まれていく。どうしてモンティが破滅へと向かっているのを知っていて、止められなかったのかと。号泣する。そして、それはどうして自国であるアメリカをなぜ止められなかったのかというスパイク・リーの無念さのように聞こえてならない。

 モンティはまるでアメリカの呪われた運命を暗示しているようであるが、彼は恋人や友達そして父親からとても愛されているという救いを持つ。恋人ナチュレレルは彼の罪を知りながらも彼を最後まで裏切らずに愛し続け、もう一人の地味で真面目な友人はモンティを全く理解していないにも関わらず、慕い続けている。彼はひょっとすると日本のことを表しているのではないのかと深読みさえしてしまう。

 そしてもう一つ救いと言えるのは、その刑期が7年であり、終身刑ではないということ。そして冒頭に出てくる一条の光。何よりも悔い改めるという、その最も難かしいことがもし出来さえするのならば...。そこにはきっと救いがあるということを暗示しているのではないだろうか。
 スパイク・リーの自国に対する呪われた運命と痛いほどの愛憎とが伝わってくるようだ。そしてこの映画を観た私一個人も、悔い改めと救いがあることを世界平和のために共に祈りたいと思う。

合掌

2/3鑑賞 

Posted: Wed - February 4, 2004 at 12:44 AM      


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