『ラスト・サムライ』★★★★


トム・クルーズ主演、 エドワード・ズウィック監督、渡辺謙  真田広之  小雪 共演   

「ラストサムライ」はまさにスペクタクルファンタジー映画だった。私は観ていて、「ロードオブザリング」を思い出してならなかった。初めて渡辺謙、真田広之ら扮するサムライたちが登場する場面などは、一瞬サムライたちがまるで、「耳なしほういち」に出てくる幽霊となった平家の武士たちのように思えた。兜のシルエットが美しく印象的で、絵に描いてみたいような衝動に駆られている。

そして、19世紀の日本の町並みは完全に異次元の世界と化していた。明らかに現実ではない、どこか遠い世界のジャポンという国。日本がアメリカ人の手によって美化され、古き良きサムライの精神を大切にと諭されている私たち日本人。。なんとも不可思議な気持ちになる。そして勝元の故郷である山村に至っては、「ロードオブザリング」のホビット村に見えた。山々の自然を描く映像美も非現実なる世界へと私を誘ない、それは現実に存在するのではなく、大尉の目を通しての理想郷であり、ファンタジーであったと思う。

描かれている村人やサムライたちのストイックで秩序正しくしかもスピリチュアルな生き方。。私たち現代人が捨て去ってしまった美しい精神性がそこにはあり、それをアメリカ人によって指摘されるという皮肉。。
話はそれるが、最近BSで小津映画特集があったが、どうもそれとシンクロしているような気がする。私は小津の映画を見て、失われてしまった美しい日本語や心を見て、実に爽やかな気分になった。それと共通するものがそこには確かにある。小雪の演じるたかは、寡黙で東洋的な美しさに溢れ、可憐でたおやかな一輪の花のようであった。

 それにしても、渡辺の演じる勝元はあまりにかっこよすぎて、私の中ではなんだかアニメのようだった。なんというのか、彼の演技は素晴らしいのだが、ファンタジックヒーローになりすぎていたためにかえって距離感ができてしまったような感じである。だから彼が死ぬ時も泣くまでいかなかったのだろう。それに対して、真田広之は脇役で少ししか画面に登場しないのだが、彼は凄いリアリティを持っていたと思う。なんというのか、俳優真田という存在が消えていて、氏尾という侍が本当に生きていたのだという気がしたからだ。彼はすごい俳優だと改めて思った。 

 この物語は、主人公が初めはアル中で日本へサムライ討伐にやってくるが、サムライの暮らす村で自己蘇生され、サムライの仲間になり、果てには西洋化した日本軍を相手に兜姿に身を包んで戦うという、ミイラ取りがミイラになるという系統の話。それを日本人である私たちが見ているという入れ子の構図がなんとも言えない。

そして、戦闘場面だが、実に美しかったのである。特に最後の花を散らそうと、銃弾の中に突進していく場面。死ぬことがあまりに美しいと逆に心配になってしまう。桜の花が散るように、命を散らす。なんというロマンチックさだろう。そこに桜が散るシーンが出てきたのは、あまりに露骨すぎではと思ったが、誰にでも分かるというのは高級感は損なわれるが、決して悪いことでもないだろう。

それにしても、馬が決死のサムライたちを乗せて高原を疾走していくあの場面で、私は馬の美しさに改めて心を奪われた。馬というと、黒沢監督の「乱」の馬の美しさと思い出す。そこは男達のロマンの世界であり、男の美学の祭典でもあった。近頃トリップについてのエッセイを読んだばかりだが、まさにこれはトリップだなあと感嘆した次第である。

Posted: Fri - January 9, 2004 at 12:34 AM      


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