アイランド ★


グロテスクな悪夢だが、、

先が読めないオープニングは、スリリングであり、奇妙な日常世界が展開されて期待が高まったが、
秘密が分かり、施設の外の世界が出てきてから、どんどん白けてしまい、オーバーなアクションが続くのには辟易してしまった。どんどん作品が安っぽくなっていくのが分かった。なぜなら、途中でもう話の筋が見えてしまったのである。つまりお決まりのパターンを踏襲しているに過ぎないというのが分かって急につまらなくなってしまった。
特に主人公の二人が外の世界に来てからはなんだか白々しく、ただのアクション映画に成り下がってしまったという感じがする。

クローンという深淵な主題を抱えているので、そのところの表現に期待をしていたのだが、あまりにも単純なアクション系の勧善懲悪ストーリーであった。勧善懲悪はもちろん素晴らしくいいことである。ただ、その表現があまりにも単純すぎて、現実的でないから、ぐっと来ないのだ。主人公がスーパーマンになって、悪者を退治しましたっていうのは、あまりに現実味が薄い。しかも途中でこの二人は絶対に死なないというのが、分かってしまったから、ハラハラもしない。

しかし スカーレット・ヨハンソンはやはり素晴らしかった。彼女は本当に素晴らしい女優だと思う。映画を見終わって印象に残るのは、他でもない彼女の顔なのだ。忘れられない表情をする女性である。

さてストーリーについてだが、これは世にもおぞましいグロテスクな悪夢である。

マッドサイエンティスト系の話だが、人間とほとんど変わらない感情のあるクローンを人間のような生活をさせて、アイランドに行けるという夢を餌に、実は臓器を取り出すために殺害するという究極の騙しをする組織であり、しかも臓器を売ってお金をかせぐという営利を目的とした企業でもある。

お金のために感情のあるクローン人間を臓器提供のためだけに育て、生活させ依頼人が事故や病気になれば、アイランドに行ける夢が叶ったといって喜ばせた直後に、臓器を取り出して殺してしまう。
これほどおぞましいことがあるだろうか。今でも気分が悪い。昨夜は寝付きが悪くなってしまった。

ある意味でこれは、クローン技術に対する警告でもあり、クローンをどのように扱ったらよいのかに対する提起のようなものでもある。
クローン人間を完全に製品、つまり物としてしか見ていない博士。それに対して人間よりも生き生きとしたクローンの主人公たち。

人間のほうが、汚れていて自己中心的でさえある。ユアン・マクレガーが演じるリンカーンは依頼人の人間に会うが、人間のほうは自分さえ良ければいいという嫌な奴であるのに対し、クローンのほうは、自分の命も顧みずに仲間を助けるヒーローとなる。

これはSF作品などで、ロボットと人間を比べたときに、自己よりも他人を優先する美しいロボットと、自分のことしか考えない醜い人間という対比にも似ている。

最後に、このおぞましき企業について、私は昔もっとおぞましい物語を読んだことを思い出す。
それは天才作家である安部公房の非常に短い作品だ。
わずか8頁しかない『事業』というタイトルの小作品は、私にとって大衝撃であり、この映画『アイランド』よりよほど恐ろしかった。

ただおぞましいというよりも、妙な説得力があるところがどうしようもなく恐ろしかったのだ。
というのも、悪である事業主の一人称のみで語られているからである。この食肉加工(実は人肉)の事業家は悪いことをしているとは思わないどころか、それを正当化する理由を堂々と雄弁に説得力をもって不気味にまくしたてるのである。

映画がアイランドならば、公房の小作品ではそれは、ユートピアと名付けられている。どちらとも、楽園に憧れて入った者は二度と帰ってこない。
なぜなら、楽園であるはずのアイランドでは臓器を取り出されて殺され、(まだ企画の段階だが)ユートピアでは入ったらソーセージにされてしまうのである。

あまりに強烈でおぞましさ極まりなく、脳裏に深く焼き付けられたそれが、この映画を観てすぐに思い出されたのである。


Posted: Thu - August 18, 2005 at 10:26 PM      


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