『晩春』 <『晩春』を別の物語として観る>


BS小津安二郎監督特集にて 原節子主演  12/9 鑑賞 [絶賛]

 小津安二郎の芸術に触れて。

 小津監督作品は見たいとずっと思っていてそのまま時が過ぎ、今回のBS特集でようやく観ることができた。期待を裏切らない素晴らしい作品群に、思わず古き良き日本の美しい心を垣間見た思いになり、すがすがしさを覚えると共にその質の高さに目を見張った。

映画がまだ娯楽とされる以前の芸術の香りが漂うその画像は、気品に溢れ今見るとレトロ感を漂わせた日常のさりげない一コマがこちら側にまでリアリティーを持って迫ってくる。何気なく見始めるのだが、だんだんその世界に引きこまれ、そのしみじみとした心の繊細なひだがたたみかけるように折り重なって、最後にはぐっと観る者の心に訴えかけてくる。ああ、やられたと思わず溜息をついて、余韻に浸る。画像の一つ一つが実に考えられていて、絵画のように美しい。しかも多くの暗示に富んでいる。

 今回いくつかまとめて見たが、その中でも私は『晩春』がとびきり好きである。原節子の美しさに感動しつつ、二人のせつなさに涙してしまった。二回観たのだが、二回目の時は、母を亡くした一人娘と父との単なる愛情の物語にはどうしても見えなかった。これはやはり明らかに恋愛の物語だと思うに至ったのである。そうでなければ納得できないシーンややりとりがあまりに多いではないか。だからこれを年輩の男性と若くて美しい娘との禁じられた叶わぬ恋の物語として観ると実に納得がいき、また感動もひとしおのものとなる。

 原節子演じる紀子は父親の再婚話を知って衝撃を受け、嫉妬したり嘆いたりするが、その表情は正に恋人を取られそうになる女性のそれであり、しかもそれを素直に表すことのできない葛藤にも苛まれている。一方笠の演じる父という仮面をかぶった初老の恋人は紀子を深く愛するが故に、彼女の幸せを第一に考え、先の長くはない自分の気持ちを喜んで犠牲にしようとしているのである。紀子の自分に対する愛情に一貫して無関心を装い、紀子に自分を諦めさせようと別の相手ができたという一世一代の世にもせつない一芝居をうつのである。

 この作品の中で最もどきりとする場面は、やはり結婚が決まった紀子と父の笠(父と書くと誤解されやすいのでこう書かせてもらう)が京都に旅行へ行き、夜枕を並べて寝るシーンである。普通の娘と父であるならば、あれほどまでに紀子を艶めかしく撮らないはずである。その時の原節子の妖艶なことといったら、女性の私でもどきりとしてしまうほどである。しかも紀子をそのように撮っているのはあの場面に限られていることからしても、何かしらの意味が込められていると考えておかしくない。あの時の原節子は、まだ自分の気持ちを聞いてさえもらえれば関係が修復できると考えていたのではないだろうか。

だから、「私、おとうさんのこと(再婚)嫌だったの。。」とうち明け話を始めようとしたのだ。がしかし、紀子のために自分を諦めさせようとしている笠は寝たふりをして、彼女を拒んでしまう。その後なんとも悩ましい紀子の顔がアップされ、謎のシーンが入る。それは一つの大きな壺が映されるシーンである。まるで壺が何かを語りかけるように映され、そのあと紀子の顔が、そしてまた同じ壺が計二度も意味ありげに映し出されるのである。笠の顔は寝たふりをしてから一度も映し出されない。次にはもう朝になっているのである。
あの壺は一体何を意味するのだろうか。

 私はどうも気になって仕方がなくあれこれ考え、一つの解釈に辿り着いた。解説書など一切読んでいないのでもちろん独断なのだが、あの壺は笠の気持ちを封じ込めた壺なのではないだろうかという解釈である。あの壺の中には溢れんばかりの愛と欲望とが、忍耐と犠牲という確固たる決意によって封じ込められているのではないだろうかと私は考えた。

壺というのは元々色々なものを入れるものではあるが、昔から封じ込めるという意味合いをも含む。つまりあれは笠の息も詰まるような愛と欲望とを封じ込めた壺なのではないだろうか。そう考えると、あの普通の旅館には不似合いなほどの壺の大きさまで理解できるような気がするのである。

 翌朝になり、二人で帰り支度をしているシーンが出てくる。そこで紀子は急に意味深長になり、昨夜言えなかった自分の気持ちを伝えようと、最後の望みを託すのだ。「わたしこのままお父さんといたいの。どこへも行きたくない。一緒にいるだけでいいの。それだけで私幸せなの。...これ以上の幸せなんてないと思うの。...だからこうしていさせて。」そう告白する紀子に対して笠は自分の気持ちを残酷なまでに封じ込め、紀子にそれはいけないと諭し続ける。紀子はそれを聞いて、ついに本当に望みはないのだと諦め、涙を流す。

 結婚の当日、世にも美しい花嫁姿となった紀子がいる。呆気なく立ち去ろうとする笠に、紀子は跪き、「お父さん、今まで色々と、、お世話になりました。」という美しい言葉を吐く。そこには思いが叶わなかった最愛の人への別れという二重の意味が込められているように思う。紀子は最後に涙をこらえようと必死に肩を震わせる。それに対して笠は自分の感情を出さないようにと早々に紀子を立ち去らせようとしているかのようだ。

 そして最後になって実に俊逸な、あのラストシーン。そのせつなさに思わず涙を誘わずにはいられない。そして何より凄いと思うのは、始めからこのラストシーンに至るまで、自分の感情を押し殺し続けてきた笠が自分の感情を観客に見せるのはなんとこのラストシーンだけだという点である。

しかもそれは彼自身が語るのではなく、ただ一人ぼっちで林檎の皮を剥いているというシーンだけで、今まで押し込めてきた感情を一気に余すところなく表現し得ているのである。なんという監督であろうか。その一場面だけに凝縮された感情の発露。。思わず圧倒されずにはいられない深い感動に私は揺り動かされたのであった。

Posted: Sun - January 25, 2004 at 12:54 AM      


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