『キカ』を観て ペドロ・アルモドバルについて 


ピナ・バウシュの舞台「炎のマズルカ」も含む 1/29鑑賞 

 実を言うと、ここで『キカ』のあのハチャメチャとも言えるストーリーを書くつもりはない。ただこの映画を観て監督ペドロ・アルモドバルという人について私が少しばかりなるほどと思ったことなどを中心に書いていきたいと思う。

 この映画は信じられないような悲惨な出来事が実に明るくテンポよくコミカルにさえ描かれているので、その毒性はすぐには発揮されない。観ている間は、えっと思いながらもその悲惨な出来事をなんだか楽しむような気分で見終わってしまうくらいである。
 
 ところがである。その毒は単に観客が最後まで観てくれるための、甘い糖衣であって、薬と同じくやはり体内に入ってしまうのである。ああ、ペドロ・アルモドバルという人はやはり恐ろしい。これがヒットしたというのだから、ひょっとしたらその毒性に気がつかない人たちも多いのかもしれないが、間違いなく潜在意識の中には深く入り込んでいると言っていい。
 
 実はこれを見終わってしばらくしてから、どうしようもない不快感に苛まれて苦しくなってしまった。始めはそれが映画のせいだとは気がつかなかった。ところがとにかく訳も分からずにどうしようもなく憂鬱な気分に襲われてしまい、なんとか救われたいと思ったので、気分転換に風呂に入ったが効き目もなく、書物にその助けを求めたほどだ。翌日になっても不快感は消えず、別の心温まる映画を観て、ようやく回復したのであった。

 この不快な体験を通して、私が頷いたのは、どうしてこの監督は『オール・アバウト・マイ・マザー』であのテネシー・ウィリアムズと組み、昨年の新作『トーク・トゥー・ハー』でピナ・バウシュという予言者とも言われている恐ろしき振付家と組んだのかが、分かったような気がしたからである。

 私は偶然にもダンスに関しては全く無知のままにピナ・バウシュの「炎のマズルカ」の舞台を東京で観ていたのであった。今にして思えば、凄い体験だったのだと思う。まず前半が終わった休憩の所で、いつもならこんなことはエチケットとして決して言わないのだが、あのときは本当に我慢が出来ずに、この人の舞台嫌いだからもう観たくないというような言葉をぶやいていたのだ。なんとも原因の分からない不快感に襲われていたのである。
 だが幸いにも後半の舞台が素晴らしいほど美しかったので、前半の不快感と相殺されて、なんだか不思議な舞台を観てすごく刺激された気分になり、あれはどういう意味だったのだろうとずっと考えることを止めなかった。今にして思えば、パンフレットを買っておけばと思うし、考えたことを書き留めておけば良かったのにとも思う。
 
そしてピナ・バウシュのことは、『トーク・トゥー・ハー』を観るまですっかり忘れていた。そして映画の中でまさしく私が観たあの舞台の場面が再現されていたのを見て、興奮した私はピナ・バウシュとは何者ぞとここに来て初めて気になりだした。そして友人から根元的な不快感を扱っているというコメントを得てなるほどと思った。アルモドバルはそのピナ・バウシュに心酔しているのである。

 そして実にこの映画『KIKA』を観たときに感じた不快感は正にその根元的な不快感そのものだった。
 そして『トーク・トゥー・ハー』を見終わった時も、その日は圧倒され興奮していて気づかなかったが、翌日から別の種類ではあるがやはり不快感を味わうことになるのだった。



 それにしても、キカの周りであれほどおぞましい極致の出来事が立て続けに起こっているにも関わらず、彼女はなんとも明るく無邪気なのである。
  
 だから生きていけるのかもしれないし、そのために救われるとも言えるのだが、ただ単にそんな甘いことではないような気がする。何しろアルモドバルなのだから...。

 キカは悲惨な出来事の直後でも新しい見知らぬ男性を車に乗せて、気晴らしに楽しいことしたいわというようなことを言ってのける。
 あの明るさと無邪気さは、一体どこからくるのか、そしてそれは何を表しているのだろう。

 少し私たちの現実社会を見渡してみると、実に悲惨な出来事が日々どこかで起こっている。その現実は実際、悲しいことに映画で繰り広げられる悲惨な出来事を上回ってさえいる。
 私たちはそれを忘れようとしているのかもしれないし、見てみないふりをしているのかもしれない。おぞましいけれども、それを気にせずに明るく生きていきたいと思っている。キカのように。
 もしかすると、そうした一見明るくて親切そうな大多数の私たちを皮肉って表現したのが、実はあのキカなのかもしれない...。そう考えてみたりする。それはとても辛いし、痛い。突き刺さるような痛みを伴う。

 そう考えていくと、アルモドバルという人はやはり過激で恐ろしいので、感受性の人一倍強い私には相当にキツイものがある。果たして次に新作が出たとき、見にいくだけの勇気があるかどうか...。分からないが、でもまた観てしまうのかもしれない。おそらくは打たれに行くために。。

Posted: Mon - February 2, 2004 at 12:59 AM      


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