カンパニー マリー・シュイナール ダンスの概念が変わるほどの衝撃の舞台!


「ショパンによる二十四の前奏曲」「コラール〜賛歌〜」 今まで観てきたものは、何だったのかというほどのインパクト。Bunkamuraシアターコクーン 

夫が公募して当たったチケットで、渋谷まで出かけたが電車に乗り遅れ、開演時間ぎりぎりに到着。開演後は入れませんという厳しい規制の中、滑り込みセーフで劇場に入り席に着いたとたん、舞台が暗くなった。

 音楽は全くなしに、踊り手(表現者)たちが現れると、ただならぬ雰囲気が漂い出して、その世界にあっという間に引き込まれていった。やがてピアニストが現れ、美しいショパンの生演奏が始まる。私は今までこれほど音楽と溶け合ったダンスを観たことがないような気さえした。

 「ショパンによる二十四の前奏曲」は、視覚的効果とその動きの斬新さ、計算され尽くしたかのような完璧さと洗練、そしてダンサー達のレベルの高さに驚き、それだけで帰っても十分に満足したものだったが、わたしにとっては後半の「コラール〜賛歌〜」 がそれを超えてあまりに衝撃的であり、感動的だった。

「コラール〜賛歌〜」 が始まると、そこに現れたダンサー達は、もはやダンサーと呼ぶのでは表現し得ていないかのような存在になっていた。音楽の代わりに彼らの吐息、遠吠えがリズムと空間を創り、それはまるで忘れ去られた原初的興奮が呼び起こされるかのようである。舞台に立つ<表現者>たちは、まるで何か一つの大いなる力によって生み出された肉の一部であり、人間を超えているようにさえ思われた。

この舞台で表現されているのは、明らかに「性への賛歌」であるが、そのなんと開放的で力強く大胆であることか。
あまりにも長い間ーいや現代においても、抑圧されている「性」への解放を謳歌した世にも強烈な祈りのようにも思われ、私は感極まって涙が出てきた。
 舞台においてのダンサー<表現者>の信じられないほどの表現力の高さは、類を見ないほどであり、これほど完璧に作品と一体化できるのは、なぜなのか、そしてそれを可能ならしめているものは、一体なんなのだろうかと思い、マリー・シュイナール氏という振付家の恐ろしいまでの力量を推し量るのであった。

そして彼女のインタビューの言葉を読んで、多少なりとも納得した。

(パンフレットより引用)
「体のどんなところにも、どんな小さな部分にも、細胞レベルにまで、(心)と(知性)は存在しています。私はその情報に気がつくと、それを意識や目に見える形に変容させていきます。私自身はとても小さな存在だけれどもっと大きな、宇宙的な存在が教えてくれるのです。」

こうした高いスピリチュアリティーを持った存在にしか創り得ない舞台、それがマリー・シュイナール氏の「コラール〜賛歌〜」 である。それはまるで古代の神聖な儀式に遭遇したかのような、時空を超越した体験であった。真の芸術とはこうしたものなのだ、と確信する。 
こうした貴重な体験は本当に希であり、運が良ければ数年に一度、へたをすれば10年に一度、人によっては一生に一度の体験なのではないかと思う。わたしにとっては、2002年に観たピナ・バウシュ氏の作品以来の衝撃的な体験であり、本当に幸運であったのだ。
マリー・シュイナール氏に心からの敬意と感謝をしたい気持ちで一杯である。






Posted: Mon - March 21, 2005 at 12:02 AM      


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