カンパニーマリーシュイナール 『春の祭典』『牧神の午後への前奏曲』 パークタワーホール 3/18


ダンサー達の醸し出す雰囲気に圧倒される舞台

『牧神の午後への前奏曲』 ドビュッシー

フランス象徴派の詩人マラルメの象徴詩「牧神の午後」に感銘を受けたドビュッシーが作曲したもの。

ダンサーは一人、作品自体は10分という短いものであるが、非常にリアルな作品だった。
マラルメの詩の情景をそのまま再現していた。

半人半獣の牧神に扮したダンサーは粗い鼻息と共に現れた。
まどろむ牧神はやがて目覚め、光の幻影を見る。
これがニンフやヴィーナスの幻影の隠喩なのだろうと思われる。
怪しい官能を掻き立てられ、性に溺れる牧神の姿が実に生々しい。
光の幻影がやがて消えて、元に戻る牧神。

マリーシュイナールは「性」を扱うのが卓越して上手いと思う。
しかも圧倒的なリアリティーを持つ。

もともとダンスというのは、性の表現にルーツに持つのだろうか。
マリーシュイナールの作品は非常にセクチュアルであると同時に
根元的な何かを感じさせるのだ。

『春の祭典』イーゴリ・ストラヴィンスキー

最初から最後まで息を呑むような激しい展開で、圧倒された。

舞台には棘とも爪ともとれる物体が全体に散りばめられるようにして配置されている。
そこにダンサー達がほとんど全裸に近い形で舞台を這うようにして現れる。

マリーシュイナールのダンサー達が醸し出す独特の雰囲気に
舞台は一気に異次元の世界と化す。

ねっとりとした動きや激しく手足を上下に動かすまるで炎のようなダンサー達。
彼らは皆、まるで何かに取り憑かれているかのような表情をしている。
観ていると、こちらまであちらの世界に吸い込まれそうになる危うさが常にある。

彼らは全ての表現において、深く、そして濃厚である。
彼らの身体の筋肉は柔らかく、大胆であり、かつ強靭だ。

身体、肉体、、筋肉、、肉、、骨、、。
なんというのか、肉体を観た。
人間の生身の姿を。
いや筋肉を、いや骨を、、肉を、私は見た。

これが率直な感想である。

前回の公演もそうであったが、
マリーシュイナールの世界は、全ての境界を越えている。

ダンサー達は国籍もなく、性別もなく、人間ですらない、
生き物の姿という所まで回帰しているのだ。

そして感動。。

私はここのダンサー達には畏敬の念を抱く。
常人ではない人達に対面して驚く自分。。。

『春の祭典』の内容は
太陽神イアリロへの生け贄として一人の乙女が選ばれ、
生け贄の踊りを踊った末に息絶えて、
長老たちに捧げられるというものである。

以上

Posted: Mon - April 10, 2006 at 09:37 PM      


©