鎌倉散策


杉本観音、報国寺、浄妙寺

久しぶりに鎌倉へ行った。結婚記念日なので、のんびり散策しようと夫と出かけた。当日は素晴らしい天気だった。これ以上は望めないほどだ。空は青く澄み渡り、風も穏やかで気温は暑くもなく、寒くもなくちょうど良い。こんな日は何もしなくても、幸せな気分に浸れるものだ。

 鎌倉駅からバスに乗り、杉本観音で降りる。去年一人で初めて訪れた寺だが、二回目に来てもそのちょっとした驚きと神聖さは全く衰えない。ここには平安時代からはるかな時を経てきた観音像が何体も安置されている。

 靴を脱いで薄暗い中に入ると、お線香の匂いに包まれてどこか別の世界に入り込んだかのような錯覚を受ける。運慶の仏像が置かれている。黒ずんでいて、どっしりとした存在感がある。とても古いものだ。ここですでに神妙な気持ちになる。そして奥に密やかに安置されている秘蔵の観音像は格子越しに拝む。なんだか霊の存在を感じられる神聖な場所。出てくると、お遍路さんのような年配の男女がお経を揃って読み上げている。とても熱心で出で立ちも完璧である。人生の大半を終えて、神仏の道を歩んでいる姿にどことなく共感を覚えた。

 外に出ると、ほっとする。しかしなんといいうのか、体の中がすっきりとした気分である。まさしく異次元空間にいたという感覚が残り、また太陽の降り注ぐ外気に触れて、戻ってきたという安堵感と共に満たされた気持ちになる。山の中にひっそりと立てられた小さな鎌倉最古の寺。その素朴な感じがいい。

 苔で緑色に染まっている急な階段を写生している人がいた。金髪の白人女性。50代だろうか。もう一人日本人女性が別の場所で写生している。いい光景である。 私も老後、スケッチして歩くなんていうのも豊かな感じがしてやってみたいなあと思ったりする。

 次にランチをしてから、報国寺にぶらりと行く。竹の庭が有名な寺である。ここを訪れるのも二度目だ。だが、この季節ではなかったので、見事な竹の子の勇姿に見とれてしまった。前来たときはなかったと思う。涼しげで立派な竹の林を歩くというのは、それだけで素晴らしい体験である。でも今回は、もの凄い背の高い竹の子さまを見て、感激した私だった。
 それに竹の子の皮も見事で、産毛が生えているが、触ってみるとまるで動物のようなのだ。その皮で思わずおにぎりを包んでみたくなるのであった。あれを見ると、なんだか筍を食べてしまうのが申し訳ないような気持ちになった。あんなに見事に育っているのに、地面に出てきてすぐにもぎ取られて、食べてしまうなんて可哀想な気がしたのだ。それくらい愛らしくて動物的な竹の子であった。

 その後、陶器のお店にぶらりと立ち寄り、夫婦茶碗と湯飲みを買った。なかなかいい土産である。

 ようやく浄妙寺に辿り着く。ここの庭は手入れが行き届いていて、開放的な感じだ。人も少なく、静かである。本堂の薄緑色の屋根は丸みを帯びて、どこか異国的な趣がある。ここに来た目的は茶室であったが、その前に少し散歩していたら、桜の木にサクランボが生っているのを発見し、嬉しくなった。景色のよい高台に上り、腰を下ろす。遠くに見える山々の緑の美しさ、のどかさ。その時、鳥かと思いきや、真っ黒な揚羽蝶が飛んできた。私の喜びはさらに高まった。

 美しい茶室に入り、正座する。目の前には見事な枯山水の庭園が広がっている。静かな時間が流れていく。抹茶を頂きながら、その場の雰囲気を味わう。実物で創られた絵のような庭園だ。

その後、縁側を渡って左脇へ行くと、水琴窟がある。長く渡された竹に耳を押し当てると、金属的な懐かしい音が聞こえてきて、不思議な気持ちになった。水が落ちて何かに共鳴しているのだ。その音はどこか異国的で、ジャワのガムランの音色に似ていた。そう、東南アジアの音がした。鎌倉の茶室で、ガムランに似た音と出会うとは面白い発見であった。


4/29/2004

Posted: Thu - April 29, 2004 at 02:16 PM      


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