モネの家と庭があるフランス・ジベェルニーを訪れて   



 モネについて。私は物心ついたときから、モネ好きである。

モネというと大抵遠くもいとわずに足を運んで観に行く。そして2001年の8月にはとうとう念願のモネの家と美しい庭のあるジルヴェニーに行くことができた。色々な収穫があった。まずモネの庭の素晴らしさ。モネの庭の凄いところは表と裏がある所である。

 表は草花がまさに楽園のように咲き乱れる西洋式庭園である。西洋式であるがやはりモネの庭というだけのことはあって、手入れは行き届いているのだが、入れすぎていないところがいい。

 つまり自然のままの美しさを最大限に引き出そうとしているので、自然に逆らわず、そのままの姿をお手伝いするという程度に人の手が入っているのである。これは私の目指す庭のイメージととても近い。なので心から草花の美しさを堪能することができる。どうも日本にある一般的な植物園などに行くと、手が入れすぎていて本来の美しさを損なっているようなことが多いように思うが、さすがにモネの庭は違っていた。

 そして、表の庭から続くトンネルを通ると、そこには小川がせせらぎ笹の葉がそよぎ始める。私たち日本人には懐かしいものを感じさせる。そうしたやや薄暗い細道を抜けると、そこには睡蓮の大きな池が横たわる東洋的な庭が世間とは隔絶されてひっそりと存在していた。

 先程とは打って変わって別世界である。先程が陽であり動であるのなら、こちらは陰であり、静である。瞑想の世界といってもいい。この空間でモネは生涯の長い期間に渡って、睡蓮と水の織りなす音楽を絵筆に込めて描き続けたのである。

 それにしても睡蓮という花は昔から特別な花とされている。東洋では神の花とされて崇められているし、数々の芸術家たちはその花をたとえ話に用いている。その根底は泥でありそこに根ざしながらも、その花は天に向かって美しく咲き、穢れがない。そこに理想の姿を見ているのではないだろうか。
 
 モネの隠れ家的なその東洋の庭は、明らかに彼の日本的なものに対する憧憬を見ることができる。実際今でもその庭にある樹木は日本からの寄付によるものだと言う。そしてモネの家にいたっては、彼が集めた日本画のコレクションで埋め尽くされているのだ。

 今現在、日本人が最も好きな画家の一人に必ずモネの名前が挙がる。モネの日本に対する興味と憧れは時代を超えて、私たち日本人がモネの描く絵を愛して止まないことによって、結びつけられているように思われるのである。

2004年3月9日記述

Posted: Tue - March 9, 2004 at 02:09 PM      


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