1982? | カシオ | FP-1100 | Z80 4MHz, 64kB memory / サブ CPU μPD7801, Casio Basic |
キーボードや画面などのI/OをサブCPUが司っていて、その速度がネックになってました。 Dynabook購入後、ずっと机の上でオブジェとなっていたので転勤を機に廃棄 | |||
1984頃 | 富士通 | BUBCOM 80 | Z80 ? MHz, ?kB memory, CP/M, 32kBのバブルメモリを2基搭載、8" FDD付き |
知り合いからもらったもの。バブルメモリは(当時としては)CP/Mの起動が速くて感激した。 残念ながら、廃棄 | |||
1990 | 東芝 | Dynabook SS001 | 80C86? 10MHz?, Dos 3.1? |
HDDは付いていなかった。 ある日、急に起動しなくなったので廃棄 | |||
? | 東芝 | Dynabook SX021 ? | 80386SX ? 16MHz? |
SS001が壊れたときに中古で買った。 動いていたけど時代遅れになってNC/S購入後に廃棄。 | |||
1997? | 富士通 | BIBLO 5100NC/S | Pentium 100 MHz /Memory 16 MB+32 MB , Win 95 |
サブノートが欲しかったので買った。メモリ増設、HDD換装などそこそこ使った。 ポインタと液晶が壊れたので廃棄。以後 Wintelマシンとはしばらく決別 | |||
1994 | Apple | Centris 660AV | 80486 25 MHz / DSP AT&T 3210 55MHz. Memory 4 MB+32 MB , 漢字 Talk 7.1〜 8.6 |
念願のMac。またも”サブCPU”が乗っている機種を選んでしまった。描画などを支配しているので、これがやはりネックになってくる。 速度的に厳しくなってきたので 7600を購入。しばらく残していたけど、廃棄 |
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1998 | Apple | Power Mac 7600/200 | PPC 604, 200 MHz, Memory 320 MBくらい , 漢字 Talk 7.5.5〜9.2.1, OS X 10.2 |
念願の Power Mac。速度が厳しくなってからはG3/466ボードを入れて耐えている。 最近あまり使っていないけど、まだ残ってる |
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1999.6 | Apple | Power Book G3/333 | PPC 750, 333 MHz, バックサイドL2キャッシュ 512kB@133MHz, Memory 382 MB, 漢字 Talk 7.5.5〜 |
念願の Power Book。会社の PowerBookが壊れてしまい、買ってもらうまで使えるマシンがないので速攻で購入を決定。 パンサーをいれて、未だに現役 |
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2003 | I Will | ZPC | P4, 1.1〜1.9 GHz, Memory 256 MB, Win 2k/Vine Linux 2.6。 2006年にmob. p4, 1.4GHzに交換。Linuxは削除 |
久々の Wintelマシンはベアボーン 詳細はこちら |
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2005.11? | Apple | iMac G5 iShight | PPC G5 1.9GHz, PC2-4200 1GB, Mac OS X 10.4.x |
intel Macが出そうだというので、駆け込みで買ったG5マシン。現在のメイン機種。 | |||
2006-2007 | AOPENなど | べアボーン等 | Win XPマシン1台、Vistaマシン1台 |
P4からmoble Cel.などを経て、現在はAthon 64 x2。やっぱり64bitで省エネでないとね。 |
こうやってみると、(自宅では)8ビットマシンで頑張っていた時代が長いことがわかるなぁ。
そういえば、ファミコン時代が(スーファミ以降に比べると)長かった気もする。
メモ
中学時代、某雑誌で"ATOM-10"というコンピューターを自作する記事があった。
個人でもコンピューターがもてる時代が来たのか!と感動した記憶がある。
が、テレタイプに向かって"1+1="と打ってもうんともすんとも言わないという記述
があって、やはり普通の人には使えないのかなと思ったりもした。。。
高校の時に数学室にはHPのプログラム電卓があった
大きなプロッタがつながっていたことだけ、記憶にある。
大学に入って、16進変換のついたシャープのプロ電を買った。
TK80などのワンボードマイコンがいろいろと出回っていたけど、 完全自作の夢が捨てられず、 i8085やZ80を買ってきてボードマイコンを作ったりした。
整数のかけ算くらいしかできなかったけど。。。
時代は世の中を日電の PC8001が席巻していて、8801に移ろうとした頃。
カシオが破格の値段でパソコン "FP-1100"を売り出した。10進演算で計算制度の高さが
うりものだった(さすが電卓メーカー)。すぐにとびついた。
が、ソフトが無くて困っていたところ、同じ悩みを持つ人が「友の会」なるものを たちあげたので、それに参加した。ここでは、(パソコンに限らず) いろんなものを吸収させてもらえたとおもっている。
CP/Mを覚えたのもこのおかげ。
ていっても、自分で持っていたわけではない。大学で研究室に配属になったら、 三井造船システム製のPDP−11互換機が置いてあった。 実験制御のために使った。一応スクリーンエディタ装備だけど、 エディタのディスク(8インチ・片面・単密=128kB!)を入れて プログラムを書いたら、今度はフォートランのコンパイラに入れ替えて、 でアセンブラを通して、最後にリンカのディスクに入れ替えてやっと走るという手間をかけていた。
隣には紙テープからプログラムを読むミニコンとか、コアメモリを搭載した ミニコンとかがおいてあって、その研究室の中では「最新鋭」だった。
教養で、大学の計算機センタをチョットだけ使った。なんとパンチカードだった。
学部時代には、情報処理センタの計算機も使わせてもらった。MELCOMだったと思う。
実験の解析をしないときには、APLで遊んでいたような気がする。
そうこうするうちに、いくつかの研究室が共同で解析用のメインフレームを入れたので、 それをTSS端末からつかったりもした。
会社にSONY NEWS 1850が入ったので、それをメインに使うようになった。
会社に Macintosh IIcxが入った。NEWSと同じ68030(ちょっとだけクロックは遅いけど)
GUIというものにはじめてふれて、プログラムの起動法がわからないというショックをうけた。
以後、Mac中心になっていく。。。